本文へスキップ

重要なお知らせ代表・藤田の体調不良により、誠に勝手ながら当面の間、ツアーの催行と新規のご予約受付をお休みしております。再開の際はこのホームページでお知らせいたします。

POHNPEI
OCEAN CRUISE

JAPAN & POHNPEI

日本とのつながり

統治の時代から、言葉、そして物語まで。100年ごしの縁をたどる。

1914年から約30年間、ポンペイは日本の統治下にありました。それは支配の歴史であると同時に、人と人が出会い、暮らしが混ざり合った時代でもあります。

道路や建物、日常会話に残る日本語、日系のルーツを持つ家族、そして日本の棋士や作家が残した物語。このページでは、日本とポンペイをつなぐ糸を、少し詳しくたどります。

WAR MEMORIES

戦争の時代と、島に残る戦跡

1914年、日本海軍がポンペイに上陸。その後この島は、国際連盟の委任統治領「南洋群島」の一部になりました。学校や病院、道路がつくられ、コロニアの通りには商店が並び、多くの日本人が海を渡ってきました。

しかし太平洋戦争が始まると、島は一転して最前線に。米軍の空襲でコロニアの市街は大きな被害を受け、補給を断たれた島では兵士も住民も飢えと闘いました。ポンペイでは地上戦こそ行われなかったものの、戦争は島の暮らしを大きく変えました。

それから80年。ジャングルの緑の中に、あの時代の跡は今も静かに眠っています。

訪ねられる戦跡

緑に包まれたランガル島の戦跡

LENGER ISLAND

ランガル島

日本軍の水上機ランプ(スロープ)跡から上陸する戦跡の島。砲台や弾薬庫、コウモリの棲む地下燃料庫が緑に抱かれて残ります。

もっと知る
空から見たソケース山

SOKEHS RIDGE

ソケース山

コロニアを見下ろす岩山には、高射砲などの陣地跡。リーフを一望する山頂の絶景とあわせて巡れます。

もっと知る
スパニッシュ・ウォール球場の夕暮れ——ドイツ鐘楼を背に野球を楽しむ人々

KOLONIA

コロニアの街

戦争末期の空襲で市街は大きな被害を受けました。今の穏やかな街並みのそこかしこに、時折あの時代の面影が顔をのぞかせます。

マダラニウム地区のジャングルに残る高射砲

MADOLENIHMW

マダラニウム地区

島の東側、緑深いマダラニウム地区のジャングルには、朽ちた高射砲がひっそりと眠っています。当時のまま自然に還りつつある姿は、静かな迫力があります。

MEMORIALS

島に立つ、祈りの碑

ポンペイの街かどや山あいには、日本とのつながりを静かに伝える碑が今も残されています。

蓮台に立つ観音像のポナペ会慰霊碑

ポナペ会慰霊碑

コロニアに立つ観音像の慰霊碑。1979年、日本ポナペ会が、島の発展に尽くして亡くなった人々と戦没者の冥福、そして恒久平和への祈りを込めて建立しました。

動物のレリーフが刻まれた「鳥獣魚類之碑」

鳥獣魚類之碑

日本統治時代に建てられた供養碑。命をいただいた鳥・獣・魚を悼むという日本ならではの祈りのかたちが、南の島に静かに残ります。ニワトリとブタのレリーフが刻まれています。

草に囲まれて立つ「無名戦士之碑」

無名戦士之碑

ソケースの集団墓地の一角に立つ石碑。名も知られぬまま異国の地に眠る兵士たちを、静かに悼んでいます。

日系の家族が、今も多く暮らす島

統治時代、多くの日本人がこの島で暮らし、現地の方々と家庭を築きました。そのため現在のポンペイには、日本姓を持つ家族や、日系のルーツを持つ人々が数多く暮らしています。

年配の方のなかには、日本語の単語を覚えている方も。旅の途中で「コンニチワ」と声をかけられたら——それは、この島と日本の100年ごしのつながりです。

LANGUAGE

ポンペイ語のなかの、日本語

統治時代、日本語は学校で教えられ、暮らしの言葉として島に浸透しました。その名残で、現在のポンペイ語には日本語から借りた単語が数多く残っています。たとえば——

dengki

← 電気

電気・明かり

sidohsa

← 自動車

自動車

sasimi

← 刺身

刺身

soiu

← 醤油

しょうゆ

dakuwang

← たくあん

たくあん

asi

← 箸

箸

sohri

← 草履

ゴム草履・ビーチサンダル

iakiu

← 野球

野球

angkasi

← ハンカチ

ハンカチ

sakura

← 桜

花札(カードゲーム)

世代とともに英語に置き換わりつつある言葉もありますが、今も暮らしのあちこちに日本語は息づいています。

PEOPLE

ポンペイにゆかりのある人々

SHOGI LEGEND

升田幸三

昭和の伝説の棋士と、ポナペ島

「新手一生」を掲げ、昭和の将棋界に革命を起こした伝説の棋士・升田幸三(実力制第四代名人)。実はその青年時代、兵士としてこのポナペ島——現在のポンペイ——に送られていました。

制空権を失い、補給の絶えた島で、空襲をジャングルでやり過ごし、飢えと闘う日々。しかし恐れられた上陸戦は行われず、島は玉砕を免れます。升田は1945年末に復員し、ふたたび盤の前に戻りました。

戦後、GHQに「取った駒を使う将棋は捕虜虐待ではないか」と問われ、「将棋は駒を殺さず、味方として活かす」と堂々と論じ返した逸話はあまりに有名。その反骨の原点のひとつが、この島の空の下にありました。

LITERATURE

『南の島のティオ』と池澤夏樹

ポンペイを描いた物語とナンマドール

作家・池澤夏樹氏は、1977年からポンペイ島を幾度も訪れ、その体験をもとに連作短編集『南の島のティオ』(文春文庫/第41回小学館文学賞受賞)を書き上げました。物語の舞台は、まさにこのポンペイ島です。

作中に登場する「ガラガルギナ遺跡」は、世界遺産ナンマドールがモデルになっているといわれています。断崖の岩山「クランポック山」やホテル、離島の風景も、実際にこの島にある場所がもとになっています。

この物語を読んでからナンマドールを訪れると、石積みの向こうに、少し違う物語が重なって見えてくるかもしれません。

歴史の続きを、いっしょに歩きませんか。

戦跡も、言葉も、物語も。背景を知って歩けば、風景の見え方が変わります。

日本語でご案内できる私たちだからこそお伝えできる、日本とポンペイの物語があります。